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怒りととも発した言葉はあまり伝わらない

自分の思い通りに行かない時はどうしてもイライラしてしまって、トゲのある言葉を使ってしまいがちです。

私の場合は特に仕事の時がそれが顕著です。

私はウェブディレクターとして働いているので、ウェブデザイナー達の品質、進捗を管理しつつ、顧客とのやりとりを行っています。

顧客から理不尽な要望などをもらうことはよくあることなので、怒りというよりは状況を応じて対応していくだけなのですが、身内となるとちょっと変わってきます。

自分の意図が相手に伝わらず、その結果、ウェブデザイナーのつくった制作物が期待しているものでなかった場合、ちょっと怒ってしまいます。

もちろん、指示する方にも問題はあると思いますが、何度も説明したことが伝わらないもどかしさは言い表せないほどストレスを感じてしまうのです。

そんな時、私は強い言葉を使ってしまいます。

「前にも言ったよね?」
「何で言われたとおりやらないの?」

これ見ていい気分になる人はいませんよね。私も言われたらすごく嫌です。

それでも使ってしまうのはちょっとした成功体験によるものです。

怒りは時に自分の要望を強く伝えるには有効です。

私の主張を受け入れず、相対した相手に怒りをぶつけると私の主張を通すことができます。

嫌な事をされた時、嫌だと伝えても引き続き同じことをしてくる人間などには特に有効です。

ただ、こういった「自分の思い通りに動いた」という成功体験が理不尽な相手以外にも頭をよぎり、「なぜ、自分の思い通りにいかないんだ!」という自分勝手な怒りが湧いてしまうことになります。

これがすごく良くないのは自明の理でしょう。

そして、何よりよくないのは怒りから生まれた言葉は伝わらないということ。

例えば以下のような言葉を使ったとしましょう。

「なぜこんなデザインをつくったんだ?これが本当に良いものだと思ってる?資料にこうやって書いてるじゃない。ちゃんと仕事してよ。」

もう、傍から見てるだけでストレスフルな言葉ばかりですが、この問いにきちんと答えられる人がいたとしても、その返答自体は物事を好転させるパワーはないでしょう。

これが怒りによる言葉であるならば、怒りの無い言葉とはこのようになります。

「資料にこのように書いているから、このようにデザインをつくったほうがいい。そうするとこういう理由でデザインがいいものになるから今後は気をつけて」

最も伝えなければならない事が「資料のとおりにデザインをつくる」事であれば、後者のほうが明らかに伝わります。

明らかなのに自分の感情を優先して怒ってしまう愚かさに最近頭を抱えてしまいます。

私が忌み嫌っていた頭が固く近寄りがたいおっさんに自分がなりつつあると気付きました。

ユーモアと心の余裕を持った面白いおっさんに私はなりたいので、怒りは理不尽な相手にだけ使おうと心に決めたのでありました。