私もあなたもいつか必ず死にますよ。死ぬことについて少し考えた。
北朝鮮からのミサイル
今日の5時57分ごろ、北朝鮮が弾道ミサイルを発射、日本上空を通過した。
人は死ぬ。あたり前のことだが普通の生活を送っている限り、死を感じる瞬間がないから死ぬことに対して鈍感になっていく。本当にミサイルが飛んでくるまではしばらく忘れてた。
死ぬ事が決まっているのになぜ行動を起こすのかはとっくに答えは出ていて、ただ死ぬ瞬間に後悔したくないだけである。
死を考える事のメリット
死を考えるということは文字通りデッドライン(期限)を考えることである。つまり最大のメリットは時間は有限であるということに気づき、残りの人生において何ができるかを逆算する機会を得る事だと思う。多くの死を看取ってきた看護師さん曰く、死の間際に多くの人が口にするのはやりたいことに挑戦しなかった事への後悔だそうだ。
今、私ができる事に全力を尽くしているかと聞かれればyesだが、やりたいことに対して全力であるかを聞かれればnoだ。いつだって私には多くのやらない言い訳がある。だがそんなものは死を前にすればクソも同然である。
死を見つめてフィリピンに行くことを決めた
私にとって生活拠点を日本からフィリピンに移すということは大きな決断だった。日本での仕事は割りと上手くいっていてやりたい事もできていたし、自分の時間もちゃんと確保できていて、楽しく暮らすことができていた。
そんな中、会社で打ち合わせ中、大地震が起きた。それが2011年3月11日の東日本大震災であった。
オフィスは激しく揺れた。立っていられなかった。死を感じた。その後、電車はしばらく止まっていたし、節電が必要となった。津波で約2万5千人が死んだ。大げさに言うなれば1日で世界が変わってしまったのだった。
世界が変わって初めて私は本当に自分がやりたいことは何なのかを考えた。結論は「英語を習得し、違う文化を知りたい」ということであった。
そして現在に至る行動を起こした。そんな事があっても私は死ぬという事を忘れていた。どんだけバカなのだろうか。
死を見つめる=自分を見つめる
死を前にして恥を気にする人がいるだろうか。死ぬことよりも恐ろしい事があるかどうかは死を経験していないのでわからないが、少なくとも面倒くさいとか恥ずかしいという理由で自分がやりたいことを我慢することが愚かであることは自明の理だ。
今回の事で死を意識し自分と向き合った結果、私の1番やりたいことは私の好きな人達とともに穏やかな時間を過ごしていきたいだけだという事に気付いた。
少し前に山本太郎さんが「生きる上で2番目に大事な物は?」という意図不明な質問を麻生太郎さんに対してしたことの返答が私の頭の中をぐるぐると回っている。
「その手の訳のわからない質問に答えるのは1つ。生きていく上に大事なことは朝は希望を持って目覚め、昼は懸命に働き、夜は感謝と共に眠る。その気持ち」