気付いた

遅すぎるという事はない

なんかダルいし面倒くさいから後回しにすることってたくさんあるじゃないですか。そんな事が多い私が最近気付いた事。

この記事の目次

私はとても面倒くさがり

もし、私が生まれてから今までで声に出した言葉で1番多いものをあげるのならば「面倒くさい」は暫定1位です。一旦何かを始めると割りと徹底的にやるのですが、始めるまでが遅いのです。そして一旦やっている事が途切れると、当然衰えるわけで、衰えたスキルや知識に辟易としてしまい、また面倒くさくなってしまうのです。どうせ俺なんて。。。的な感じですね。

例えば英語の勉強の話

私は4ヶ月間、寮制の英語学校にてがっつり勉強しました。その結果、日常会話なら話すことができるようになりましたが、ビジネスレベルの英語は無理です。そもそも私の目標はビジネス英語だったのですが、その英語のレベルに達するまでに私の適当な概算によると3年を要すると判断。その不確かな概算の3年という時間により気が遠くなってしまい、3年なんて俺ができるわけねーべ、このカッペ野郎の俺なんて訛りを矯正するのでいっぱいっぱいだべさ。

そんなだめ人間の思考に陥った私は英語の勉強をストップしてしまっているのです。

失われていく能力

さて、英語の勉強をストップした私。以外と英単語については割りと忘れずに使う事ができています。問題は文法です。要所で的確な英単語を使う事ができれば文法なんぞ無視しても伝わってしまいます。そして必要最低限の英語を使用したコミニケーションが得意となって私独自の文法を開発、その結果誰からも下手くそと表される英語力に落ち着いてしまったのです。

ボキャブラリーは増えたと思いますが、文法を無視しているため、話している相手は私のことを相当頭が悪いという印象を持っていると思います。文法で言えば3年前の方が上手だったと思います。

こうしてまたやる気がなくなっていこうとしていた時、なぜか急に思ったのです。

遅すぎるという事はない

私が言っているのは歳の事ではありません。どんなに衰えようが、目標の期日を過ぎようが諦める必要がないという事です。ある種、悪い意味で完璧主義な私は「あー、もう目標に達する事ができない、じゃあもういいや」と投げ出しがちなのです。それは大好きなゲームについてもでてしまい、「あーもうあのアイテムとれないならやめよう」とゲーム自体を投げ出す事が多くありました。

0を1にすること、-1を0にすること、0を0でキープする事。努力に対する対価が自分の理想よりも低くてもそれはそれでいいのだと。もし英語を全て忘れてしまっても手遅れではない、そっからまたやることが大事なんだなと。

やっと最近気付いた。