新年

超ヒマな私が新年の予定をつくってもらった話:後編

宴もたけなわ、新年の時がせまる

私にビールを買わせたいキャシィの夫

最初に私の買ったビールが切れた頃、キャシィの夫がミミに耳打ちをし始めました。その後、すぐに私にビールを買うよう依頼するミミ。あ、これ、言わされてんじゃん。私は基本的にNOといえる日本人なので、そんなに飲みたきゃお前が買え、そもそも俺はビールなんかよりコーラの方が100倍好きなんだよ、調子のんな、ブスと毒づき視線をキャシィの夫に写したのでした。

料理を運んでくれているキャシィ
料理

彼はそうだそうだ、と言わんばかりの表情で私に対しおどけてみせていました。

私見ですが、経済的に弱いフィリピン人男性は人を利用する術に長けている気がします。周りを盛り上げる事がうまく、話の中心になりがちな彼ら。そのため女性にもてますが、その実、女性に援助してもらっているようなクズです。

彼の自己紹介によると、偉い奴は大体友だちで俺が何かで警察に捕まっても大体でなんとかなる。お前も何かあったら俺に相談してくれ、すぐに助けるから。との事であり、多いに私を失望させてくれたのですが、それとは裏腹に女性陣はすげー、と言わんばかりに目を輝かせて彼の話を聞いているのでありました。

フィリピンの長屋の人々と日本

さて、時間も12時に迫り心なしかみんなソワソワしてきました。近所の人達も徐々に表にでて何かの準備をしています。特にやることも無い私は表でなにやらバーベキューをしているおっさんの肉を何肉なのかを考えながら眺めていると、そのおっさんから「先輩、元気ですか?」と流暢な日本語で話しかけられました。

へ?と間抜けな返事をしつつも、特に彼の質問には答えずになんで日本語が話せるのかを聞いたところ、昔日本の会社に在籍していた漁師との事で、若い時はずっと日本海周辺で漁をしていたらしい。その後、おっさんは酒や食べ物を勧めてくれてそれをごちそうになっていると、どこからとも無くご近所さんが集まってきて日本語で私に話しかけてきました。

これは結構衝撃でした。普通の、一般的なフィリピンの住宅街において日本語が横行。比率的に10人に1人は話せたんじゃなかろうか。経済格差を背景に日本語はこんなところまで来ているのだな、と少し悲しいような嬉しいような複雑な気持ちになったのです。

※おっさんの焼いていた肉は犬の肉でした。

新年の時

新年の10分前になり、お祭り騒ぎとなっているご近所さん達。おもむろに道路上に何かを用意しています。よくよく観察してみると30メートルほどの1つにつながった爆竹でした。新年における祝い方は中国のものを取り入れているようです。その辺のフライパンなどでガンガンとその辺を叩いて音をだし、不幸を退散させるわけですね。

道路に敷かれた爆竹
爆竹

そして12時となりました。

凄まじい音を出しながら破裂していく爆竹。花火も打ち上げられ、人々は叫ぶ。新しい節目を喜び、これから生活に希望を感じる。キャシィは夫に偽りのハグをしている。そしてミミがそっと握ってきた手を振り払いつつ、私は思う。

うるさいので早く帰りたいと。

着火された爆竹
着火された爆竹

お別れの時

ぼーっと新年に沸く人々を見ている私。その辺のおばちゃんが私に「あなた知ってる。ゴーゴーバー行ったでしょ。私はそこのママなの」と言われた時は戦慄し、「そ、そ、そ、そんな事ないよ。私はあなたの事をしらない」と大いに動揺を誘われたのであります。

そうこうしているとジョディから電話がかかってきました。「ハッピーニューイヤー。そっちはどう?」と聞かれたのでうるさいので早く帰りたい旨を話したところ、そうか、じゃあ楽しんで、と笑いながら電話を切られました。

1amになったところ、キャシィ夫婦がタクシーを捕まえてくれて私は無事、帰路へとつくのでした。

その後

この時に出会った人達とはそれから1度もあっていません。しかし風の噂(ジョディ)で夫婦は別れたと聞きました。ミミはお母さんと和解し、一緒に住んでいるそうです。そして私は変わらない。そんな交わるはずのなかった人たちを繋げたジョディに私は言いたい。

人を紹介するなら、夢のある人選を次回はお願いしたいと。